東京高等裁判所 昭和28年(行ナ)32号 判決 1955年2月17日
原告 三原健一
被告 特許庁長官
主文
原告請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「特許庁が同庁昭和二十五年抗告審判第二三二号事件について、昭和二十八年七月三十一日になした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、
(一) 原告は昭和二十三年十一月十三日本件商標につき第八類利器及び尖刃器を指定商品とし特許庁に対し登録出願をしたところ、昭和二十五年四月十日拒絶査定を受けたので同年五月十二日特許庁に対し抗告審判の請求をし、同事件は同庁昭和二十五年抗告審判第二三二号事件として審理された上昭和二十八年七月三十一日に右抗告審判請求は成り立たない旨の審決がなされ、その審決書謄本は同年八月七日原告に送達された。右審決はその理由として、本願商標は「原」の文字を三箇の弧状線で囲み、その下に左横向きの「鹿」の図形を画き、更にその下に「三原鹿」の文字を大きく縦書して成り、第八類利器及び尖刃器を指定商品としたものであるが、登録第三七九九四五号商標は左横向きの「鹿」の図形を画いて成り、第八類鎌、剃刀、鉋、庖丁、剪刀、鋸、小刀、鑿を指定商品とし昭和二十一年十一月二十四日その登録出願がなされ昭和二十四年十一月二十五日登録されたものであるところ、両商標を対比すると両者は全体としての外観は互に類似したものとすることはできないが、前者が「三原鹿」の文字を大きく記して成るものであつても之は「鹿」を中心観念とするものであつて、その文字の上部に画かれた「鹿」の図形と相俟つてこの商標から「鹿」の称呼観念をも生ずることは当然であり、後者はその図形が「鹿」を画いているから、両者は共に「鹿」の称呼観念を有し、この点で互に類似している。
而してその指定商品が同一であるか又は類似するものであるから、結局本願商標は商標法第二条第一項第九号により之を登録することができないと説明している。
(二) 然しながら、右審決には重大な事実の誤認と審理不尽の違法が存する。即ち
(イ) 審決理由中に掲げられた登録第三七九九四五号商標の指定商品の表示は誤つており、右指定商品は小刀、鑿、剪刀、鋸とするのが正しい。又商標の類否を判定するにはその商標を全体として観察して之をすべきであるのに、審決が本願商標が「三原鹿」の文字を大きく記して成るものであつても、「鹿」を中心観念とするものであるとしたのは商標を分析して推理した観察態度であつて、商標を全体として観察したものと言うことができない。
(ロ) 商標の類否の判定は現実的でなければならない。本願商標は「三原鹿」と特別顕著に大書されているので飽くまでも「三原鹿」が中心観念であり、之に結合する上方の部分も「三原鹿」を図案化したものであつて、右商標から来る観念は「三原鹿」であり、単なる「鹿」でないことが明白である。又その称呼も従つて「ミハラシカ」であり、単なる「シカ」ではない。更に指定商品第八類「利器及び尖刃器」には「鹿」の字を一部として有する「何々鹿」と称呼せられるものが数多く存し、この事実をも、綜合して考えれば本願商標から単なる「鹿」の称呼が出るとするのは現実を無視した観察と言うべきである。
(ハ) 元来「鹿」の図形商標に関しては商品分類第八類「利器及び尖刃器」に於ては鎌、剃刀、鉋、庖丁、剪刀、鋸、小刀、鑿につき登録第二一六一〇号商標(甲第一号証)と之等の商品を除いた同類全部の商品につき登録第九八六四八号商標(甲第二号証)の二商標に二分されていたが、前者は存続期間の更新がなされずに消滅し、その後「富士鹿」、「鹿の頭」、「星鹿」、「日出鹿」、「神鹿」、「寝鹿」、「谷鹿」、(甲第三号証の一乃至七)のような商標の登録がなされ、現在では、同類商品殊に鎌に関する限り「何々鹿」と称することによつて自他の区別をし、単なる「鹿」はこの種商品に慣用される標章に過ぎない状態になつている。それにも拘らず前記登録第三七九九四五号商標(甲第四号証)が昭和二十四年に登録されたのであり、この登録こそ商標法第二条第一項第六号に該当するものとして無効とされるべきであり、又未だ無効の審決がなされなくても右商標は前記富士鹿以下の各登録商標(甲第三号証の一乃至七)のように鹿と他の事物とが結合して「何々鹿」とあらわされた商標とは類似していないものとして登録されたものと解すべきであるから、以後は右「何々鹿」と同一形態の商標の登録出願がされても之を制限することができないものとして登録を許されたものと見なければならない。従つて前記商標第三七九九四五号の登録あるが故に本願商標「三原鹿」の登録を拒否すべきものではない。尚原告の営業所の所在地たる兵庫県の加東、加西、美嚢の各郡は古来刃物の生産地として有名であつて、刃物の標章として動物殊に鹿の図形に製造者自身を表示する記号を添加して用いることが一般の慣行となつている(甲第五号証の一乃至四参照)。
(三) よつて原告は審決の取消を求める為本訴に及んだ。と述べ、被告の主張に対し、
(イ) わが国の現行の特許、商標制度では公告制度がその根幹的機構であつて、特許商標の出願人の要求を一定の方式により国民に周知させ之に対して異議あれば自由にその申出をさせ、出願人には之に対する答弁の機会を与え、必要あれば証拠調をした後権利設定の許否を決定するのであつて、之がいわゆる公衆審査の制度であり、この審査を経ない特許権、商標権の設定は無効である。公告は特許庁を代表する特許庁長官が之をするのであるが、公告中に誤記のあつた場合出願人の住所、氏名、職業の誤記は訂正することができるが、指定商品に遺脱があつた場合は遺脱された商品について異議の申立をすること即ち公衆審査をすることの機会が失われるのであつて、この場合には合法的に商標権の設定が行われることはあり得ない。本件に於て実質上争の主たる対象となる商品は鎌(播州鎌)であるが、前記引用商標の登録前に於て「鹿」の図形又は文字を含む商標が登録され、又はその登録のない儘で之を使用していた実例は多数存したが(甲第三号証の一乃至七参照)、もし商品「鎌」について「鹿」の図形全体又は「鹿」の称呼全体につき権利が及ぶものと解せられる恐れのある商標が公告され、それが将に登録されようとするに至つたならば業界に大なる反響が喚起され、異議の申立が続出することは必然である。然るに偶々昭和二十四年六月十七日に審決の引用する登録第三七九九四五号商標の「鹿」の図形の登録出願公告が業者の重視する「鎌」を指定商品とせず、単に第八類小刀、鑿、剪刀、鋸を指定商品としたので(甲第四号証参照)、右の公衆審査は発動せずして右登録がなされたものである。故に仮令商標原簿に右商標の指定商品として、「鎌」を含んでいても、「鎌」につき公衆審査を経ない以上「鎌」に関する右原簿記載は無効であつて、引用登録商標権者は「鎌その他の利器、尖刃器」につき、権利を主張することは許されない。即ち右引用商標の商標原簿の記載如何に拘らず、その商標権の及ぶ指定商品は小刀、鑿、剪刀、鋸に限られ、その外の利器及び尖刃器殊に鎌については無効である。
(ロ) 本願商標ではの記号と鹿の図形とが喰合つたように結合しており、この結果は「三原鹿」の文字を図形を以て表示したものであり、右図形は「三原鹿」の文字に比し著しく小さく表わされてあつて、被告主張のように鹿の図形がの記号と三原鹿の文字との中間に画かれてあるものとは言い難く、又と鹿の図形とが結合していてその結合が「三原鹿」を意味すると共に下方の「三原鹿」の文字とも重複結合していて被告主張のように「鹿」の称呼観念が分離して生ずることはないようになつている。
と述べた。
(立証省略)
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告の請求原因事実中(一)の事実を認める。
原告は審決が引用登録商標の指定商品を第八類鎌、剃刀、鉋、庖丁、剪刀、鋸、小刀、鑿としているのは誤であると主張しているが、その登録出願書及び特許庁備付の商標原簿に依れば同商標の指定商品が審決に記載された通りであることが明らかであつて、この点の審決の記載に誤りはなく、只商標公報に誤つて右指定商品として小刀、鑿、剪刀、鋸だけしか表示されてないので、原告の右主張はこの公報の誤に基ずいたものに外ならない。而して商標の登録出願公告は審査の参考とする為公衆の意見を求める趣旨のものであつて、出願公告は商標の登録出願から生ずる権利又は商標権の有効無効を決定させるものではなく、従つて一旦登録査定があり、商標原簿に登録された以上、その登録は有効と見るべきである。又仮に商品鎌について登録出願公告がされなかつた結果引用商標の指定商品中に鎌が包含されないとしても、鎌と類似関係のある鋸につき公告がされてあるから、鎌をも指定商品とする本願商標は引用登録商標とその指定商品に於て牴触しているから、その登録は許さるべきものでない。
次に本願商標は三原鹿の文字と、原の字三個の弧状線で円形様に囲んだ記号とが存するけれども、之等の中間に「鹿」の図形を明瞭に画いて成るものであるから、右商標からは「三原鹿」の称呼観念も生ずるけれども、又一面「鹿」の図形も独立して要部と認められる部分となつており、従つて右商標からは「鹿」の称呼観念を生ずるから、両商標はその称呼観念を共通にしており、この点で互に類似している。
原告主張の既往の登録例なる登録第二一六一〇号商標(甲第一号証)、同第九八六四八号商標(甲第二号証)は何れも本件の場合に参酌する必要はなく、又原告主張の富士鹿以下鹿の字を用いた各商標の登録例(甲第三号証の一乃至七)は何れも図形と鹿の文字とが分離することなく結合又は重合していて、その態様が本願商標のものとは著しく相違しており、之等の登録例あるが故に本件商標登録出願を許すべきものとすることはできない。
尚前記引用登録商標が原告主張のように商標法第二条第一項第六号に該当するものとすべきでないばかりでなく、同商標及び之に類似した標章は明治三十七年五月以来取引者及び需要者間に広く認識せられ自他商品の甄別標識として特別顕著性を有しているから、この理由によつても同商標登録を無効とすべきではない。
従つて原告の本訴請求は失当である。
と述べた。(立証省略)
理由
原告の請求原因事実中(一)の事審は被告の認めるところである。
成立に争がなく、且本件弁論の全趣旨に徴し本願商標を表示したものと認められる甲第六号証によれば、本願商標は「三原鹿」の三字を縦に大書しその上部に「原」の字を上方及びその下方左右の三方から三つの弧状線を略々円周状をなすようにしたものを以て囲み且その下に下部の左右弧状線の間隙部に角の先端を臨ませた左向立姿の鹿の図を比較的小さく描いて成るものであることが認められ、右「三原鹿」の文字から「みはらじか」又は「みはらしか」と称呼せられるべきことは勿論であるけれども、本件にあらわれたすべての資料によつても右「三原」の文字が本件商標登録出願者たる原告三原健一の姓である以外他に格別の意味があるものとは認められないから、右文字は単に原告なる三原の又は三原製なる意味に解せられるにすぎず商標としては「鹿」の部分が特に重要視されることとなるべく、従つて単に鹿印と称呼観念せられるものと解せざるを得ない。又上部の稍小さく表示された前記文字と図形との結合部分についてもその内前記三つの弧状線を以て原の字を囲んだものからは三原の称呼が生じ、之がその下の前記鹿の図形と合して三原鹿の称呼を生ずると同時に、下部の大きく表わした三原鹿の文字と同様鹿印の称呼観念を生ずるものと言うべく、結局右商標全体から「三原鹿」の称呼の外に「鹿印」の称呼及び観念を生ずるものと認められ、本件にあらわれたすべての資料によつても以上の認定を動かすに足りない。
原告は本願商標から鹿印の称呼観念が生ずるとすることが右商標を分析して推理する観察態度であつて商標を全体として観察したものでなく商標の現実的な観察でない旨の主張をするけれども、商標を分析して観察することが必ずしも全体としての観察をしないことではなく、当裁判所のした以上の観察は本願商標を全体として観察した上、その内から「鹿印」なる称呼観念を認めたのであるから、之を以て全体としての観察を欠いたものとはし難く、又右の観察が現実的でないと解すべき何等の根拠も見出すことができないから前記主張はすべて之を認容することができない。
次に審決の引用する登録第三七九九四五号商標につき、その登録出願が本件商標登録出願前になされ昭和二十四年中にその登録がされたことは本件弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、その登録出願公告決定及び商標原簿にはいずれも右商標の指定商品として第八類鎌、剃刀、鉋、庖丁、剪刀、鋸、小刀、鑿と記載されてあることは成立に争のない乙第一及び第三号証により之を認め得るところ、右出願公告の公報には右指定商品として、「第八類小刀、鑿、剪刀、鋸」と記載されてあることは当事者間に争のないところであり、之等の事実に徴すれば右商標の登録出願は右登録出願公告決定並びに商標原簿に記載された商品を指定商品としてなされ、之に対し登録を許されたものであり、前記公報の右商標の指定商品は誤記されたものと認められ、以上の認定を動かすに足る資料は存しない。而して右出願公告の制度は之により原告主張の通り一般第三者をして法律所定の期間内に異議の申立をすることを得しめ以て出願に対する審査官の注意を喚起させることにより商標登録が適正に行われるようはかつたものと解すべきであるけれども、審査官は右公告に対してなされた異議に拘束されることなく出願を許容すべきか否かを判定するのであり、只この判定に当り右異議を参考に供すべきであるに過ぎないものと解すべきであるから、本件の場合に於けるように公報の記載に誤があつた為もしこの誤がなかつたならばなされたかも知れない異議申立がなされなかつたとしても、出願に対し登録がなされた以上この登録は右公告の誤によつてその効力に影響を受けることがないものと言わなければならない。従つて引用登録商標の指定商品は「第八類鎌、剃刀、鉋、庖丁、剪刀、鋸、小刀、鑿」であると言うべきである。而して同商標が右前脚を上げた左向立姿の鹿の図形から成るものであることは本件弁論の全趣旨により之を認めるに十分であつて、右商標の称呼観念が「鹿印」であることは明らかである。
然らば本願商標と右引用登録商標とは「鹿印」なる称呼観念を共通にしているから互に類似していると言うべく、且その指定商品に於て後者のそれが前者のそれの一部であるからその部分では互に一致しており、前者の指定商品の内の右以外の部分も後者のそれと互に類似する関係にあるから、すでに引用商標の登録が存する以上本願商標は商標法第二条第一項第九号の場合に該当し、その登録を求める本件出願は之を許容すべからざるものと言わなければならない。
尚原告は第八類利器及び尖刃器について「鹿印」は慣用標章化していて引用商標の登録は商標法第二条第一項第六号に違反してなされたものであるから無効であり、仮にその無効の審決がされていないから有効であるとしても引用商標は従来から数多く存する鹿の文字又は図形を使用した商標と類似でないとして登録されたから以後同じく鹿の文字及び図形を用いた商標の登録出願がされた場合之を制限することができないものとして登録を許されたものと見るべきであるから本願商標の登録を拒否すべきでない旨抗争するけれども「鹿印」が慣用標章化していることの証拠として採用した各商標登録例(成立に争のない甲第三号証の一乃至七)が存することから直ちに右「鹿印」が慣用標章化したものと断じ得ないばかりでなく、当裁判所の真正に成立したものと認める乙第四乃至四十七号証、成立に争のない乙第四十八及び第四十九号証によれば右指定商品特に鎌につき右引用商標と同一の「鹿印」の商標が明治三十七年五月三十一日に登録され(この登録商標は昭和十九年五月三十一日期間の満了により消滅した)、爾来取引者及び需要者の間に広く認識されて来たことが認められ、この事実に徴すれば右「鹿印」の商標が原告主張のように慣用標章化していなかつたものと認め得るから、原告の前記主張も之を認容することができない。
然らば本件商標登録出願を排斥した審決は相当であつて、その取消を求める原告の請求は失当であるから、民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決した。
(裁判官 小堀保 原増司 高井常太郎)